2011年の東日本大震災に際して、各国より多くの義援金が寄せられた事はご存じかと思います。

その中で台湾が、アメリカの30億円近くに続いて、29億円余りの義援金を贈ってくれました。

アメリカの当時の人口が約3億1千万人に比べ、台湾の当時の人口は約2千3百万人。

GDPで比べても、アメリカは約5万ドルで、台湾は約2万ドル。

「なぜ台湾の人達は、こんなにも日本に好意を持ってくれているのだろう?どうしてそこまでしてくれるのだろう?」と思った作者は、はたと気づきます。

「お礼を言おうにも、私たちは少しばかり、相手を知らなすぎやしないか」と。

この本は、そんな作者が台湾の各地を訪ね、台湾の人達と交流した記録です。

この本の作者は、ミステリー女流作家として知られる乃南アサ。

音道貴子シリーズは、私も一時ハマった作品です。

 

 

この本の存在を知ったのは、新聞の本の紹介欄でした。

親日国というイメージの台湾ですが、私が2012年に旅行で訪れた際は、日本が好きです!という人には会わなかったし、日本語を話す人はガイドさんとタクシーの運転手さんくらいで、旅行中は親日国という印象は特に感じられませんでした。

それなのに、なんであんなに沢山の義援金を贈ってくれたんだろう?

なんで親日国と言われているんだろう?

私もなんとなく疑問に感じていた「なぜ?」をこの本で探る事が出来るかもしれない。

ちょうど旅行ブログの方で台湾の旅行記の転記作業を終えたので、この本についてのご紹介をさせて頂きます。

(以下、『 』内は、本からの抜粋部分となります。)

 

 

『台湾の人たちに親日派が多いのは、実は日本が去った後の苦難の方があまりに大きかった、その反動もあると聞いている。』

日本が去った後、大陸から国民党軍がやって来たことによる激しい混乱、急激なインフレ、二・二八事件や白色テロと呼ばれる時代と長い戒厳令。

全く知らなかった台湾の歴史。

二・二八事件

(ウィキペディア参照:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E3%83%BB%E4%BA%8C%E5%85%AB%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 

それも当然のこと、台湾の人でさえ、これらの事件を知っている人は減っているらしいです。

特に若い世代の人達は、中国本土の勉強はしても(させられても?)、これらの事件に関しては教えられないそうなので。

自分の国の歴史なのに・・・と思いましたけど、私だって幕末までの歴史は知っていても、幕末から現在までの歴史はよく分かっていなかったりしますもんね。教科書には詳しくは無かったと思うけれど触れてはいたのに・・・

日本の場合は、祖父母の世代が戦争に行っていても、積極的に語られる事はあまりありません。それは暗い歴史だったから、思い出したくない歴史だったから語りたくないからかもしれません。

台湾の場合はもっと複雑で、例え語られていても、祖父母、両親、子供の世代で使われる言葉が違っていたりするので、肉親間であっても言葉が通じないという事があるそうなのです。

 

家族と言葉が通じない。

戦前~戦中に日本統治となってしまった為、日本語を「国語」とされ、自宅では台湾語を使っていたお年寄り世代。

戦後は大陸に組み入れられ、北京語を「国語」として反日教育を受け、自宅では台湾語で話す親世代。

若者世代は「北京語だけを話すように」と教育され、台湾語では話せない世代。そして若者世代では歴史の授業では大陸の事ばかりで台湾の歴史は学べない。

決して大きいとは言えない所なのに、こんな悲劇があるなんて、想像だにしていませんでした。

 

余談ですが・・・

日本でも終戦時に同様の悲劇が起こりえる事態だったそうです。それはGHQによって。

GHQは漢字を廃止する事を考えていたようです。

当時の一部の文化人が漢字の濫用は軍国主義復活に繋がるので制限または廃止すべしと主張したというのも一因みたいですね。(なんでもかんでも「軍国主義復活」って言うのは最近もよく聞きますね ^^;)

ただ、民間や国語学者からの反対も多く、いきなり全面廃止とは出来ないので、「廃止するまでの面の間はいる」として使用する漢字を厳選しました。

それが「当用漢字」の成り立ちなのだそうです。

GHQの日本語解体の目論見は、当時の日本人の識字率が高く、子供でも年齢に応じて漢字とかなを使った文章を普通に読み書きしていた事から、ローマ字を日常語とされる事は無く現在に至る。

現在使用されている「常用漢字」は、この「当用漢字」に95語を追加した物で、「当用漢字」は「常用漢字」が告示されて役目を終える事になります。

以上、余談でした ^^b

 

 

台湾を更に複雑にするのは、本省人、外省人、原住民、客家の存在。

本省人とは、終戦前より台湾に住んでいた人達ですが、本省人の大半は純粋な漢民族とはちょっと違っているのだそうです。

『かつて福建省などから移り住んできた人々の多くは密航という手段を選んでおり、例え渡航が許された時代だったとしても男性に限られていたために、原住民族の女性と家庭を持つより他なかった。だから、「台湾人」であると胸をはる人は、 100%の漢民族とは異なる事をアイデンティティーにしている。さらにヨーロッパの血が混じっている場合もあれば、日本の血が混ざっている場合もある。多様な民族、部族が混ざり合い、お互いの文化を共有し合いながら現在に至っている。』

外省人とは、終戦後に中国本土より移り住んできた漢民族の人達。

原住民とは、台湾の約2パーセントは原住民族とされる、オーストロネシア語族に属する、マレー・ポリネシア系の部族。

私が旅行で訪問した阿美文化村の写真の中の、人形の写真(2枚目の写真)を見ると理解頂けるかと思います。

実際にこの時に踊った人達の多くは、原住民と漢民族との間に生まれた本省人となるのでしょうかね。

客家とは、漢民族の一支流で客家語を母国とする人達。

台湾を構成する人の多くは、「本省人」もしくは「外省人」のどちらかになるようです。

 

先日の台湾の選挙では、本省人の次期総統が誕生しましたが、長らく政治経済の中心は外省人が占めていました。

この選挙の結果で、今後台湾がまた変わっていくのかもしれませんね。

 

 

この本では、観光ガイドとは違って、台湾の色々な方にスポットを当てて取材しています。

なかなか興味深い人達だし、一言にドキッとすることもありました。

そして感じたのは、他国を知ると言うことは、自国も知るということ。

私に取っては価値ある一冊でした。

 

 

ところで、冒頭の「なぜ台湾の人達は、こんなにも日本に好意を持ってくれているのだろう?どうしてそこまでしてくれるのだろう?」ですが、その回答は本の中に記載されています。(最後の方)

さすがにそこまで書いたらネタバレかとも思いますので、それはここでは書かないことにしました。

本を読む際のお楽しみとして取っておいてくださいね。

 

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このブログ記事を書き始めてから完成までに、約1ヶ月かかりました。

もちろん、このブログだけ書いていたわけでは無く、別のブログ記事の方も書いたり、転記作業を行ったりしていた訳ですが。

少しではありますが「東日本大震災」という言葉も出てくるこのブログ記事は、タイミング的にどうなのかな?とは思いました。

でも、報道で、他国に先駆けて、台湾政府が6,400万円を、次期台湾指導者の所属する政党からも340万円を、熊本地震の義援金として贈ると発表された事を見て、思い切って書き上げたこの記事をアップする事にしました。